ウィンセント「どうも、お久しぶりです」

フィオナ王国騎士団第5隊隊長、ウィンセント=プレザンスは、この日、ルーサーフォードの道場を訪ねていました。
道場の縁側に座っていた、旧知の友を祝うために訪れたのです。

エレアノール「あら、珍しいじゃない、1年振りかしら?」
ウィンセント 「ええ、記憶力に鈍い私ですが、この日は覚えていますよ」

ウィンセントは、手にしていたヤマノナカユリの花束を、エレアノールに渡しました。
今日は、エレアノールの誕生日だったのです。

エレアノール「ふーん、私がユリ好きってのも覚えてるし、結構記憶力良いじゃない」

エレアノールはウィンセントに微笑み、ウィンセントもそれに笑顔で応えました。
ウィンセントは、エレアノールの隣に座りました。

ウィンセント 「先日は、バドルストーンで試合をなさったそうで」
エレアノール「ええ、後で聞いたら、副将と大将の女の子…赤髪の子と金髪の子、何ていったかしら?」
ウィンセント 「ヴィヴィアさんとベアトリクスさんですね」
エレアノール「そうそう、あの子達、貴方の弟子なんですってね、強いはずだわ」
ウィンセント 「まあ私は、基礎的な部分を教えただけですが…資質は、貴女に迫るものがありますね」

エレアノールは、ヤマノナカユリを大事そうに持ちながら、懐かしい目でウィンセントを見ました。

エレアノール「それにしても、あれから丁度10年ね」
ウィンセント 「ええ、貴女は変わりませんね」
エレアノール「ふふ、それは外見かしら?それとも中身?」
ウィンセント 「どちらもですよ…お互い多少、口調は変わりましたけどね」


10年前、フィオナ暦302年の10月。
ドゥエイン=スタイン率いる、フィオナ王国騎士団第5隊は、イエイツ平原にて
アルダス王国騎士団総団長ベルンハルデ=バルテレスが率いる、「ブリッツ聖騎士団」と1ヶ月に渡る激闘を繰り広げていました。

しかし、第5隊のみでベルンハルデと戦うフィオナの旗色は、芳しくありませんでした。
現在、第1隊から第4隊は、別の地域でアルダスの本隊と戦っており
ブリッツ聖騎士団のみが、別ルートで攻撃を仕掛けてきたため、一番戦力が充実している第5隊が対応していたのです。

ドゥエイン「さすがに…さすがに落とせんな、副長」

ドゥエインは、副長のディヴィ=エアハートと共に、負傷兵に治療を施す治療所を回り、言葉をこぼしました。
ディヴィは、ドゥエインの勇猛な性格を良く知っていたため、その言葉を深刻に受け止めました。

ディヴィ 「ええ、負傷兵も日を追って増大しますし、死者も…もはや、戦線を留める事も難しくなってきております」
ドゥエイン「…」
ディヴィ 「そろそろ、引く事を決断した方がよいかもしれません」
ドゥエイン「そう、だな…」

その言葉を聞いていた、軽症の刀傷を治療していた若い騎士が、その日の夕食でその話題を出しました。

若い騎士「この戦、ダメかもしれないな」

食事に同席していたウィンセントと、当時第5隊に所属していたエレアノールが、その言葉に反応しました。

エレアノール「なんだと?」
若い騎士  「いや、さっきドゥエイン様とディヴィ様が話してたんだけど、そろそろ引き際じゃないかって」
ウィンセント 「…そうだな、かれこれ1ヶ月、ここ2〜3日は防戦ばかりだ…士気も下がってきたし、やむを得ないか」

その時、エレアノールがテーブルをバンと強く叩き、乗っていた食器達が、仲良く5センチ飛び上がりました。

エレアノール「ふざけるな!この戦で死んでいった者の命を無に帰すつもりか!」
若い騎士  「しかし、エレアノール、このままだと皆死んでしまう…ブリッツ聖騎士団は強すぎるよ」
ウィンセント 「一番つらいのはドゥエイン様だろう、あの方の勇猛さをご存知ない訳ではあるまい」

エレアノールは立ち上がり、テーブルを蹴って言いました。

エレアノール「情けない!臆病風に吹かれたか!」

エレアノールは、その足で自分の兵舎に戻ってしまいました。

若い騎士 「はー、参ったね」
ウィンセント「激情家の彼女らしい、もっともな意見でもあるしな」
若い騎士 「気持ちは分かるが、皆死にたくはないだろう?」
ウィンセント「まあね、さて、私も兵舎に戻るよ、ひと晩経てば彼女の機嫌も治るかもしれない」
若い騎士 「治ればいいけどな」

しかしこの時、ウィンセントは、何か胸騒ぎがしていました。
そしてそれは、次の朝現実のものとなります。


早朝、ドゥエインとディヴィは、第5隊の全員を集めました。

ドゥエイン「皆、1ヶ月に渡る戦い、ご苦労だった!…率直に言うが、残念ながら我が第5隊は、この戦に勝てる見込みはない!」

その言葉に、1400人からなる大隊は、どよめきに包まれました。

ドゥエイン「負傷した者、死んでいった者には、つらい知らせとなろう…だが、我々はここで全滅する訳にはいかない。
       幸い今日は新月だ、闇が我々を守ってくれる…夜を待ち、速やかにこの場から撤退する!
       皆、本当にご苦労だった!…追って副長のディヴィから、各分隊に退路のルートを指示する事になっている、それを待ってくれ。
       最後に…皆、すまない」

ドゥエインは、言葉を詰まらせ、場を後にしました。
普段見られない、ドゥエインの肩を落とした姿を目の当たりにし、そこかしこで、すすり泣く声が聞こえてきました。
誰かが解散と言ったわけでもなく、その場から次第に人は居なくなり
各兵舎では、イエイツ平原での最後の朝食を取りながら、無言の行が行われていました。

しかし…。

若い騎士 「おい、ウィンセント!エレアノールが居ないぞ!」
ウィンセント「なんだって!?」
若い騎士 「彼女の馬も居なくなってる…剣と…あと、ボウガンを持ち出したみたいだが…逃げたわけじゃないだろうが」
ウィンセント「(…まさか)」
若い騎士 「どうした?」
ウィンセント「いや、とにかく、君は分隊長に報告してくれ、私は彼女を追う」

そう言うと、ウィンセントは、剣を手に、自分の馬にまたがりました。

若い騎士 「追うって、どこに行ったか分かるのか?」
ウィンセント「彼女とも長い付き合いだからね」

ウィンセントは、馬をあやつり、敵の本陣へと駆け出しました。

若い騎士「おいそっちは…くそっ、そういう事か!」


ブリッツ聖騎士団の駐屯地では、ベルンハルデが、側近の女性騎士と、料理を作っていました。
その姿は、血なまぐさい戦場の中にふさわしくなく、まるで平和な日常を切り取って、その場に置いたような、ある意味異質な光景でした。

ベルンハルデ「あの騎士さん、ピラフ食べてましたね」
女性騎士   「えっ、どの騎士です?」
ベルンハルデ「ほら〜、この前一緒に斥候に行った時、一番強そうな男性の騎士が居たじゃない、食べ方はあれだったけど、おいしそうだな〜って」
女性騎士   「あーあー、はいはい、結構イケメンの…それにしても、団長が斥候に行くって言い出して慌てましたよ、あの時は」
ベルンハルデ「たまには良いかな〜って、ふふ」
女性騎士   「たまには〜で死なれたらたまりませんよ、んもう」

その姿を、遠目から観察している、一人の女性騎士が居ました。
エレアノールです。

エレアノール「(…なんだ!あれがベルンハルデなのか!?どんな屈強な女傑だと思ったら、まるで貴族の令嬢ではないか!
         ドゥエイン様もディヴィ様もどうかしている、あんな細い女1人が率いる軍にビクビクと…)」

木々の間から駐屯地の様子をうかがうエレアノールは、手にしていたボウガンで、すぐにでもベルンハルデを狙おうとしましたが
心を殺し、確実に一撃で暗殺出来るよう、彼女が1人になるのを待つ事にしました。


その頃、ウィンセントは、敵の目の届かない林を、慎重かつ、なるべく素早く移動していました。

ウィンセント「(エレアノール…ベルンハルデへの暗殺工作は…既に、何人も送り込んでいるんだ。
         しかし、誰も成功せず、帰ってきたためしがない…ベルンハルデは…)」


エレアノール「(今だ…)」

エレアノールは、腰掛けるのに丁度良い岩の上で、1人食事をしているベルンハルデに、ボウガンの照準を合わせ、そして、引き金を引きました。
ベルンハルデは後ろを向いており、しかもエレアノールは風下に居たため、察知される事は絶対にない…はずでした。
しかし、ベルンハルデは、猛スピードで飛んでくる矢を、当たる直前、振り向きもせず、左手でバシッと掴み、止めてしまいました。

エレアノール 「(なにっ!?)」
ベルンハルデ「…んもー全く、食事中に」

ベルンハルデは、食器を置いてゆっくりと立ち上がり、腰に帯びていた剣を抜きました。
その剣は、「稲妻のような電光」に、かすかに覆われているように、エレアノールには見えました。

エレアノール「(…なんだ?あの剣…まあいい、ボウガンが効かないのなら)」

エレアノールは、時間にして0.1秒にも満たない一瞬、自分の剣に目をやり、再びベルンハルデを見ると…彼女は、忽然と姿を消していました。

エレアノール 「え…?」
ベルンハルデ「戦場では、一瞬でも相手から目を逸らしちゃダメですよ」

ベルンハルデは、いつの間にかエレアノールの背後に回っており、耳元で静かにささやきました。

エレアノール「なっ!?」

反射的に、エレアノールは剣を抜き、一足飛びで彼女との間を取りました。

エレアノール「貴様、いつの間に…いや…ベルンハルデ殿とお見受けする、その首、フィオナ王国のため、そして仲間への弔いのため、刈らせて頂く」

剣を構えるエレアノールに対し、ベルンハルデは、微笑みながら、手首を回して剣をくるくると回転させています。

エレアノール 「構えないのか?」
ベルンハルデ「ん?あ!ええと、これが私の戦闘スタイル?だから、気にしないで、全力で来ていいですよ、ふふ」
エレアノール 「…私をなめるな!」

エレアノールは、第5隊でも、ドゥエインやウィンセントと並ぶ、屈指の剣の使い手です。
次々と繰り出される連撃は、そのひとつひとつが非常に洗練されており、並みの使い手なら、最初の一刀すら受けられずに絶命する程の技巧を誇ります。
ところが、そんな嵐のような連撃を、ベルンハルデは、ふらふらゆらゆらと、柳のように、微笑を崩さず、まさに余裕で回避していきます。

エレアノール 「(くそっ、化け物か!?)」
ベルンハルデ「うーん、なるほど…この剣は、ルーサーフォードの剣っぽいなあ」
エレアノール 「なにっ!?」

エレアノールは、「ルーサーフォード」と聞き、動きを止めました。

ベルンハルデ「ねえ貴女、ルーサーフォードの人でしょ!当たり?」
エレアノール 「なぜそれを知っている…?」
ベルンハルデ「アレクサンドさんって割と気さくだよね〜」
エレアノール 「質問に答えろ!」

ベルンハルデは、無邪気に微笑みながら言いました。

ベルンハルデ「昔ね、身元を隠して、色んな道場…アルダスはもちろんだけど、フィオナの道場とかも巡ったんです!…うん、その日のために」
エレアノール 「その日…?」
ベルンハルデ「貴女、もしかしたらエレアノールさん?アレクサンドさんって娘さんが1人居て〜、ちょうど貴女みたいな銀髪のかわいい女の子で〜…そうだと嬉しいんだけど」
エレアノール 「……だったら、何だと言うんだ?」

ベルンハルデは、手をパンと叩きました。

ベルンハルデ「やっぱり!会いたかったんですよ〜!大きくなったね!覚えてないかな〜?…まぁいいや、実は私、貴女にお願いがあるんです」
エレアノール 「お願い…?」
ベルンハルデ「道場、継いでください」
エレアノール 「何を…何を言っている?」
ベルンハルデ「で、沢山の人に、剣を教えてください、理由は…そーだなあ、20年後位に分かるかな?」

エレアノールは、混乱しつつも、声を絞り出しました。

エレアノール 「さっきから何を言っている!今私達は戦っているのだろう!…仲間の命を奪った事を忘れたとは言わさんぞ!」
ベルンハルデ「うん、だから、私達これで引きます、国に帰ります」
エレアノール 「な…?帰る?」
ベルンハルデ「ウィリアム様はどーだか知らないけど、私としては、イエイツなんてヘンピな所取ったってしょうがないと思うし
         それに私達の方にも、死者結構出てるし…貴女が道場を継いでくれるなら、これで帰ります。
         もし、ダメって言うなら、今すぐ音速で…私が貴女の隊の人、皆潰しちゃうよ〜?
         逃げた人にも追撃とかバシバシするし、全滅させちゃうよ〜?
         そう!ブリッツ聖騎士団が引けば、多分、別のとこにいる本隊の方も引くと思うし…んーん、私が撤退命令を出してあげる!
         どう?貴女次第で皆助かるんだよ!悪い取引じゃないと思いますけど…」

ベルンハルデの思惑は、エレアノールには全く分かりませんでしたが
自分の返答で第5隊のみならず、別地域で戦っている本隊の命運も変わると言う事は、理解しました。
その言葉には、根拠がないながらも、彼女の「1人で第5隊を全滅させる」と言う言葉に
はったりが含まれているとは、まったく感じられなかったのです。
エレアノールはこの時、心の底から、彼女に恐怖を感じていました。

エレアノール 「…貴女の考えている事は分からないが、私が道場を継げば…アルダスへ帰ると?…確かに、悪い取引ではない」
ベルンハルデ「さすが!話が分かりますね!」

ベルンハルデは、無邪気な少女のように喜びました。

エレアノール 「だが、絶対に引くと言う保障は?」
ベルンハルデ「うーん、それは、信じてもらうしか…んっ?」

その時、矢のような速さで、ウィンセントが乗った騎馬が、その場に到着しました。

エレアノール 「なっ、ウィ…」
ウィンセント 「つあっ!」
ベルンハルデ「おっ!おっ!おっ!」

ウィンセントは、馬上からベルンハルデに向かって、渾身の連撃を繰り出しました。
しかし、10、20と剣戟を重ねるも、その剣は、エレアノールと同じく、虚しく空を斬るばかりでした。

ベルンハルデ「うーん、馬は苦手〜」

ベルンハルデは、ウィンセントの馬に掌をあてがい、少し力をこめて押すと、馬は、衝撃で、はるかかなたに飛んでいってしまいました。
ウィンセントは反射的に飛んで脱出し、難を逃れましたが、装備を着けた500kgをゆうに超す馬が、重力を無視して水平に飛んでいく様を見て、戦慄しました。
もちろん、エレアノールも…。

ウィンセント 「これが、ベルンハルデか…噂にたがわぬ、いや、それ以上だな…無事か?エレアノール」
エレアノール「…あ、ああ」

馬に乗っていた人物がウィンセントと気付き、ベルンハルデは目を輝かせました。

ベルンハルデ「あ、貴方は!お名前はご存知ありませんが、うちの騎士団の女の子に評判良いですよ、ふふ」
ウィンセント 「…それはありがたい事ですが、貴女と出会った私達は、不運としか言いようがないですね」
ベルンハルデ「まー、そう言わず、お名前だけでも教えてください」

ベルンハルデは、手をひらひらさせました。

ウィンセント 「…ウィンセント、ウィンセント=プレザンスです」
ベルンハルデ「ウィンセントさんね、覚えておきます…それじゃあ、私はこれで…エレアノールさん、約束守ってね」
ウィンセント 「何?どこへ…待てっ!」

駐屯地へ戻ろうとするベルンハルデを不信に思い、引きとめようとするウィンセントを、エレアノールは制しました。

エレアノール「待て!良いんだ、ウィンセント、帰ろう…」
ウィンセント 「しかし」
エレアノール「私達じゃ、いや、第5隊の総力を投じても、彼女には勝てない…」
ウィンセント 「…」

恐怖に震えているエレアノールを見たウィンセントは、それ以上何も言えませんでした。
また、剣を持つ自分の手が、同じく震えているのを自覚した事もあります。
ベルンハルデが、人知の及ばぬ「化け物」である事を、2人は本能で悟ったのです。


ウィンセントの馬が所在不明のため、エレアノールの馬に2人で乗り、帰路につきました。
エレアノールは、ベルンハルデとの会話を、ぽつぽつとウィンセントに話しました。

ウィンセント 「…それは、信用出来るのか?」
エレアノール「分からない、分からない…が」

エレアノールは、天を仰ぎました。

エレアノール「彼女の目は、嘘を言っていなかったように思う」
ウィンセント 「…」
エレアノール「それに彼女は…戦の勝ち負けなど関係なく、何か、別の大きな考えを持って戦場を回っているような、そんな気がするんだ」
ウィンセント 「そうか…」

第5隊の駐屯地に戻った2人は、身に起こった事は、分隊長やドゥエイン、ディヴィに話さない事にしました。
なぜなら、ブリッツ聖騎士団がイエイツから引く事が分かれば、千載一遇の好機と見て、第5隊は追撃行動に移る可能性が高いからです。
それは、ベルンハルデとの「約束」を破る事になり、すなわち第5隊の全滅を意味するのです。


1ヶ月後、エレアノールは、騎士団を脱退しました。
ベルンハルデとの「約束」を守るためです。

ウィンセントとエレアノールは、第5隊の兵舎で、別れの挨拶をしました。

ウィンセント 「…たまには、顔を出すよ」
エレアノール「ああ、道場で待ってる」
ウィンセント 「それから、これを」

ウィンセントは、花束を渡しました。

エレアノール「これは…ヤマノナカユリか、なぜ?」
ウィンセント 「いや、間違ってたら申し訳ないが、今日は君の誕生日だと思い出してね」
エレアノール「そうか…ユリは好きなんだ、ありがとう」


時は1ヶ月前にさかのぼり、イエイツ平原にて。

ベルンハルデ  「んーどこかな〜、結構ふっ飛ばしちゃったし、悪い事したな〜……あ、居た居た!」
ウィンセントの馬「!!」
ベルンハルデ  「あ、こら!逃げないの!…よしよし、さっきはごめんね…で、今日からあなたは、私の馬ね!…それにしても、拾ったの何頭目だっけ?」

ベルンハルデは、ウィンセントの馬に治療を施し、共にアルダスの駐屯地へ向かいました。

ベルンハルデ「20年後、また会えるといいね…ま、ほんとは会えない方が良いんだけどね……あいつがもっと引き伸ばせないかなぁ…無理かなぁ…」



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